1: 樽悶 ★ 2025/09/20(土) 13:21:40.80 ID:Av3dUC1e9■天皇ゆかりの地に卑弥呼の館がある!?
卑弥呼は、日本の古代史のみならず、日本史全体のなかでも最も知られた人物のひとりである。しかし、卑弥呼のことを知る手がかりは、中国の陳寿(ちんじゅ)が著した『三国志』のなかの『魏書』の「烏丸鮮卑東夷伝(うがんせんぴとういでん)」の倭人条、すなわち、『魏志』倭人伝条にみられる2000字ほどの邪馬台国に関する記述のなかにしかないのである。
これほど知られた卑弥呼が、『古事記』にも『日本書紀』にも具体的な姿をみせないことは、いっそう卑弥呼を謎の人物としていると同時に、その理由が問題になってこよう。
その理由を探る手がかりとして、邪馬台国の位置は、やはり避けて通ることができない。なぜならば、邪馬台国がもし北部九州に所在していたならば、大和に成立したヤマト政権とは直接、関係がみられないという可能性が出てくるからだ。邪馬台国とヤマト政権が無関係であれば、ヤマト政権の影響下で編纂された「記・紀」に卑弥呼が登場しないことも不思議ではない。
そうではなく、邪馬台国が畿内であったならば、当然ヤマト政権との関係が問題になってくるわけであり、この場合、卑弥呼の記述が「記・紀」に何らかの形であるはずである。それがみられないということは、大きな問題といえる。したがって、「記・紀」に卑弥呼のことがみられないという謎の解明は、あくまで邪馬台国が畿内に存在していたということを前提とした話ということになる。
邪馬台国の位置については、諸説あるが、おおむね北部九州説と畿内説とが有力といえる。このうち、近年はどちらかというと、畿内説が有利なようにみうけられる。その原動力になっているのは纏向遺跡の存在である。2009年に発見された大型建物跡は東西12・4メートル、南北19・2メートルという規模をもち卑弥呼の館かとも騒がれた。纏向の地は「記・紀」にみられる初期の大王である崇神天皇・垂仁天皇・景行天皇の宮の所在地でもあり、考古学的にも卑弥呼の墓かともいわれる箸墓古墳をはじめとする前方後円墳がみられ、西殿塚古墳を壱与(いよ/台与)、行燈山古墳を崇神、渋谷向山古墳を景行の墓にそれぞれあてる説もみられる。
■卑弥呼が「記・紀」にみられない理由
「記・紀」に卑弥呼が登場しないことについては、いくつかのことがいわれているが、そのひとつとして、卑弥呼が固有名詞ではなかったということがいわれている。
つまり、卑弥呼は「日の巫女」という普通名詞であったというのである。これは、『魏志』倭人伝にみられる卑弥呼は、「鬼道」にたけていたということを拠り所としている。鬼道を呪術の一種として、卑弥呼をシャーマンを示す言葉とみなすのである。この卑弥呼を固有名詞としない説では、祭祀を行う役職を指す言葉であるとする考えもみられる。
他には、「記・紀」にみられる神功皇后、天照大神、倭迹迹日百襲姫命、倭姫命などの女性が卑弥呼であったと考える説もみられる。(以下ソース)
9/16(火) 12:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/05c57c6ac1abc70fc503729067d90b98d2406307
★1:2025/09/19(金) 23:55:06.45
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1758324707/引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1758342100/
終わらすな
するために創作されたもので、それに合わせて卑弥呼をモデルに
アマテラスを創作した。
古事記作ってた頃は知ってる人いなかったんじゃないかな
古事記も日本書紀も魏志倭人伝を参照して書かれてる
名前が違うからだよ
卑弥呼ってのは中国が勝手に呼んでるだけ
>>8
卑弥呼と呼んだのは、当時の日本人(倭人)
中国人(魏人)はその音を聴いて、その音にあう文字を当てただけ
当時の中国人が卑弥呼を何と読んだのか?が
最初のポイント
当時の中国語は上古中国語から中古中国語に切り替わるタイミングで
はっきりしないが解明が続いている
「ぴみふ」または「ぴみこ」と読んだ可能性が高い
つまり中国人に
うちの女王様は「ぴみふ」って言うんだ。と当時
魏まで行った倭人の難升米達が言った音を
魏の役人が聞いて「卑弥呼」と当て字をしたと言うことだ
副首都は宮城県がいい
南は暑すぎる
文明後進国ニッポンの悲哀だなw
そんだけだ
▼梅原猛(愛知県出身・京都在住の哲学者)
『近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ』
▼中上健次(和歌山県出身・作家)
『大阪はね、ほとんど韓国と一緒の土地だと思うんです。着るものとか街並みだとか、ものすごく韓国に似てますね』
▼国民百科事典(平凡社)
『近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・自然人類学)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼マキシム・レヴィン(人類学者・旧ソ連)
『シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく』
▼岩本光雄(京都大学名誉教授・霊長学)
『畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている』
▼埴原和郎(東京大学名誉教授・自然人類学)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人からは外れている』
▼関晃(東北大学名誉教授・熊本県出身)
『帰化人たちは、ほとんど全部が大阪京都奈良に根を下ろしたといってよい』
▼松村博文(札幌医科大学教授・解剖学)
『畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました』
▼欠田早苗(兵庫医科大学名誉教授・解剖学)
『大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い』
▼網野善彦(山梨県出身・歴史学者)
『以前サントリーの会長が東北には未開なクマソが住んでると言って問題になりましたが、あれは関西人の発想です』
▼戸田恵梨香(神戸市出身・女優)
『神戸って大阪と一緒にされるの凄い嫌なんですよね~大阪は下品!汚い!』
▼堤真一(西宮市出身・俳優)
『兵庫は大阪と違って洗練された町なんで』
▼森喜朗(石川県出身・元首相)
『大阪は日本のタンツボ』
▼ローラ(東京都出身・モデル)
『関西弁で挨拶します!アニョハセヨ!!』
日本会議「ぐぬぬ。。。」
縄文時代10000年弥生時代1000年
別に九州説否定するわけじゃないけど、そもそも九州説というのは「あの広大な九州のどこかにあったはず」で場所の限定すらできていないため、そもそも議論の焦点すら明確になっていないという話で、そのため九州説の人同士でも山程派閥があって、言ってることがめちゃくちゃ違うので、まず、九州説同士で議論しろよ、と思ってしまう
そもそも魏志倭人伝の記述からして九州しか出てこないやん
博多以降の経路見たら九州内に収まるとは思えん。方角おかしいけどな。
勝手に地名を決めてるだけで何処だかわからん
魏志倭人伝に九州なんて出てこない
記述通りいけば海の上に邪馬台国があることになるこらな
中国人「あんたの国なにアル?」
邪馬台国「ヤマたい」
中国人「ほぉ~邪馬台国アルか」
邪馬台国は熊本
考古学を信じる人は畿内説
邪馬壹(ヤマイチ)であって邪馬台じゃないと思うんだが
漢字は書き写す過程で間違えた可能性もある
隋書 都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也
当時の魏志には邪馬臺と書いてあったんだって
後漢書 其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也)
知らんけど
魏志倭人伝の記載が事実という前提がそもそも実証性ゼロ。
新井白石が探しはじめて300年たってるのに、
卑弥呼も邪馬台国について文献も口伝も史跡も日本側には何一つ一切見つかってない。
普通は存在してない、記載がウソって結論になるでしょ。
そりゃ新井白石がいた時代からでも1400年以上昔の話で、
記紀編纂時からでも400年以上前なわけで、記紀編纂時でも
定かではなかった邪馬台国についての文献や口伝なんかが
新井白石以降に見つかるわけないじゃん。
そら、『古事記』や『日本書紀』の編纂に携わった人が卑弥呼を知らなかったからだよね。
情報も含めて、知らなきゃ書けない。
死の淵をさまよった子供が、自分が生まれる前に死んだじいさんに三途の川で会えないのと同じだ。
知らないんだから会えない。
日本書紀には「魏志倭人伝」「魏志」の記述があるので知っては
いたはず。後世に追記された可能性がないとは言わんが。
それが今は科学的に証拠がわんさか判明した
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