1: 樽悶 ★ 2026/07/24(金) 23:55:33.00 ID:EJ1fksHT9美しい円錐(えんすい)形の三上山を望む滋賀県野洲市の中畑・古里遺跡で先月、弥生時代の近畿最大級の掘っ立て柱建物跡が発見された。土器から推定された築造時期は2000年前の西暦0年前後(弥生時代中期末)。日本列島の広い範囲で謎の社会変革が起きていた激動期にあたり、大きな建物の空白期ともされてきた。そこに燦然(さんぜん)と出現したのが今回の巨大建物跡だ。なぜこの場所に建てられたのか。
■現地説明会に900人
発掘調査は県文化財保護協会が、商業施設の開発に伴って実施。長辺18.0メートル(柱の間の数は5間)、短辺7.0メートル(同1間)で、床面積は126平方メートル。広縁(テラス)の支えとも推測される柱穴を入れると長辺は6間、面積は147平方メートルに及ぶ。
弥生時代の近畿最大の掘っ立て柱建物は、国内有数の環濠集落として知られる池上曽根遺跡(大阪府和泉市、泉大津市)で復元された133平方メートルの「いずみの高殿」で、これに匹敵する大きさだ。
計24個の銅鐸(どうたく)が埋納された「大岩山銅鐸」の発見地に近いことも注目され、三上山を拝む銅鐸祭祀(さいし)の祭殿であった可能性がある。
(省略)
■柱穴に重要な情報
考古学者で奈良県立橿原考古学研究所特別指導研究員の森岡秀人さんが着目したのは柱穴だ。柱穴はすべて、建物の外側から内側にかけて傾斜していた。長大な柱を斜路に落とし込み、引き起こすための構造と考えられる。
珍しい特徴だが類例がある。中畑・古里遺跡から約5キロ西南に位置する伊勢遺跡(守山市)の大型建物群で、その柱穴の特徴を「伊勢型」と名づけたのが森岡さんだった。
伊勢型の主な特徴は、梁(はり)間1間、桁行4~6間で柱穴に段状構造やスロープを備えること。儀式的に柱を立てる光景を想像し、三上山の祭祀と深く関わると考える森岡さんは「三上山に最も近い遺跡で、最古かつ最大の伊勢型建物跡が発見された意義は大きい」と強調する。
建物の「上物」が残る木造建築は法隆寺(奈良県斑鳩町)の7世紀後半(飛鳥時代)の西院伽藍(がらん)が世界最古。それ以前の建物は柱穴などの遺構や土器などに描かれた絵から推察することになる。
弥生時代の土器には異様に長い柱の上に大きな屋根が付く建物が多く描かれている。住居ではなく米を収める倉庫、あるいは祖先や穀霊をあがめる祭殿と考えられる。森岡さんは弥生人にとって印象深く、シンボル的な存在であったと考え、今回の遺構をイメージするための重要なヒントになると話す。
■卑弥呼共立期に廃絶
伊勢遺跡は弥生時代後期に繁栄した。40~88平方メートルの十数棟に及ぶ大型建物跡が、方形区画内とそれをリング状に囲うライン上に整然と配置された類のない特異な遺跡だ。
大型建物跡は平成4年から相次いで発見され、当初は魏志倭人伝に登場する倭国女王・卑弥呼が活躍した2世紀末から3世紀中頃の「邪馬台国時代の王の居館」と報道された。
しかし、年代を測るものさしとしての土器を研究する森岡さんらは従来の土器編年の修正を提唱。いずみの高殿に残っていた柱材の伐採年を紀元前52年と特定した年輪年代法の数値とも整合性がつき、年代観は大きく変化した。
森岡さんは現在、伊勢遺跡の存続期間を西暦80年頃から180年頃にかけての約100年間と推定する。卑弥呼が共立される邪馬台国時代の始まりとほぼ同時に廃絶した遺跡であることを明らかにした。
■近江躍動の弥生後期
江戸時代以来の邪馬台国論争は畿内ヤマト説と九州説で決着がついていないが、最有力候補地が前方後円墳の発源地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)であることは揺るがない。
纒向遺跡は弥生時代終末期に、三上山と同じく円錐形の三輪山の西麓に突如出現する。前方後円墳を構成する要素などの考察からは、吉備や讃岐、出雲といった西側地域の合議によって卑弥呼が共立され、王権が誕生したとの説が有力視されている。
これに対し森岡さんは、王権誕生前夜の弥生後期に、近畿や東海、日本海側の丹後を含む広範囲を主導したのが琵琶湖南部地域であったと論じ、伊勢遺跡こそが卑弥呼共立の地であった可能性を指摘する。
王権誕生の助走期間である弥生後期は近江の時代であったと森岡さん。今回発見された遺構には何度も足を運び、「近江が躍動し始め、新しい歴史的ステージに立ったことが如実にわかる物証がついに姿を現した」と感嘆する。(以下ソース)
7/23(木) 8:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/79c165207d7aa33e61cb7802a2b841c6864b1fb7
引用元: https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1784904933/
道も整備されてなくて草だらけで痛くないの?
ヒトのご先祖のサルも皆裸足だし
何でも卑弥呼をやめーよ
卑弥呼は5人くらい居たんだろwww
都合悪いから変更したけどw
おいw
何だ西暦0年ってw
紀元前1年から紀元1年にジャンプする瞬間の通過点だなw
>>13
例えば
福岡安徳台弥生・縄文で縄文遺伝子が20%しかなかったって本当?
AI
その「20%」は、安徳台の事実として確定した数字ではない可能性が高いです 。安徳台遺跡の弥生中期人骨は「渡来系弥生人Ⅰ」で、西遼河系+在来(縄文)系の核ゲノムをもつと整理されています
SNSや動画では、研究の複雑な内容が**「縄文遺伝子20%」のように単純化**されて紹介されることがあります 。ただし、安徳台の個体は混血が進んでいたとされ、縄文成分はあるものの、割合は1つに固定できない、というのがより近い理解です 。
それを認めない国と互いに殺し合い、千余人が亡くなった後に30数ヶ国に共立されたのが卑弥呼
朝鮮民族の遺伝子がたっぷりと入った民族である日本民族はみんなこういう容姿
野州ってどこ
スカート短い
西暦0年(笑)
京都とか相手にならんわ
滋賀だから?
地味
チョッパリ=朝鮮半島から渡ってきた渡来人の子孫
チョッパリ国=朝鮮半島から渡ってきた渡来人の子孫が建国した国
デスマスダ♪
ウンコ食わないのがオリジナル朝鮮人
中身が朝鮮半島からやってきた朝鮮民族になって文化が進んだからな。
偉大な大韓民族が文化を伝えてくれたおかげですわ
甲賀や伊賀まで遡れば地中に古代遺跡もっとあるんじゃないかな
伊勢に似てるから伊勢型と呼ぶなら
伊勢より古かったら伊勢の方を野洲型と呼ぶべきかも知れない
継体天皇が近江出身と記紀に書かれててて
息長氏という説もあるし継体天皇から今の皇室につながる遺跡かも
息長氏が近江坂田を本拠地としたのは奈良朝からで
当初どの辺が本拠地だったか未だにはっきりしない
木津や敦賀や住吉にエピソードが多い
神功皇后と継体天皇と深い結び付きがあり
奈良盆地南部の豪族とは明らかに距離がある
椿井大塚山古墳との関係はどうなのか
卑弥呼共立ねえ
畿内説だと出雲、近江、越、濃尾の連合が狗奴国の候補なんじゃないの
ある意味ヤマト王権の生誕地じゃろ
多賀は近江という説もあるが淡路島の方が有力
国産み神話は瀬戸内海濃厚だもんね



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