1: 樽悶 ★ 2026/08/10(月) 04:55:53.65 ID:OnOHj2FP9戦時中、「生き神様」と称えられた特攻隊員たち。だが、その当人たちは自らをどう見ていたのか。昭和史研究の第一人者であり、特攻隊員に長年心を寄せてきた保阪正康氏が、海軍飛行予備学生の手記や遺族の回想録などをもとに隊員たちの本意を見据えた朝日文庫『「特攻」と日本人』から一部抜粋してお届けする。
(省略)
■「必ず巧く命中せねば申し訳ない」
特攻隊員たちは、本心では自らの運命をどのように捉えていたのだろうか。彼らは何を支えに散華していったのか。その本意を正確に見据えておく必要がある。
私は、その本意について一貫して関心をもち続けてきた。それをさぐろうと、『きけわだつみのこえ』や『はるかなる山河に(東大戦歿(せんぼつ)学生の手記)』、さらには海軍飛行予備学生の手記を始めとして多くの刊行物に目を通してきた。特攻隊員として訓練を命じられ、出撃命令の前に終戦となった特攻隊員にも手記を見せてもらってきた。特攻隊員ののこした未公開の手記や遺族によってわずかに配布された回想録などの入手にも努めてきた。
現在、私の手元にはそういう手記が何編かある。昭和二十三年から二十四年にかけて、東大学生自治会戦没学生手記編集委員会が集めた各大学出身者の遺稿や手記も何編かある。遺族たちののこした手記もわずかだが持っているのだが、それらのなかから初めに幾つかの稿や遺族の証言を紹介する。彼らの本心はどこにあったか、残酷な命令を下した国家に、個人はどう向きあったかを理解する一助にである。
(省略)
「俺の回りには十数人がゴロヽヽ寝てゐる。之が皆生神様(いきがみさま)と新聞で言はれてゐる連中だ。俺もその一人ださうだ。新聞なんて馬鹿なこ(と)を言ふもんだ。人間が命懸けで死なうとす(ママ)るのが新聞だ。報道班員だ、何だと言ふ連中こそ愧死(きし)すべきだ。新聞紙上を賑はす様な死に方は俺は真平御免だ。遊び半分で死ぬんぢやないんだからね。
俺は昔は新聞紙上で勇壮な記事を見て感激したが、今静思するにあれは驚くべき錯誤だね。黙つてニツコリ笑つて自己の本領を発揮して新聞記事に載らない人間が如何(いか)に多く、そしてそのやうな人等こそ本当の偉人だといふことを俺は知つてゐる。俺は新聞なんかに載せられて茶化されんのは厭(いや)だね。(略)
はつきり言ふが俺は好きで死ぬんぢやない。何の心に残る所なく死ぬんぢやない。国の前途が心配でたまらない。俺の抱いてゐる爆弾は君等を守る爆弾だ。それを俺が実行しなくて誰がする」
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●上原良司 (1章でも紹介)
大正十一年九月二十七日長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部に在学中に学徒出陣。昭和十八年十二月に松本第五十連隊に入隊、昭和二十年五月十一日、陸軍特別攻撃隊振武隊員として沖縄嘉手納湾
でアメリカ軍の機動部隊に突入戦死。陸軍大尉。二十二歳。昭和二十年四月に特攻隊員となった上原の動きは、残されたわずかの日記から知ることができるが、五月一日に調布飛行場で訓練中の上原に妹の清子が面会している。清子は、かつて私に、自らの手帖を開いてその面会時の様子を書きとどめた頁を見せてくれた。
(省略)
「これがニューヨーク爆撃なんて言うなら喜んで行くがな。死んでも本望だ」
「実際だ。心残りはアメリカを一ぺんも見ずに死ぬことさ。いっそ沖縄なんか行かず東の方へ飛んで行くかな」
「アメリカへ行かぬまえに、おだぶつさ」
「向うの奴ら(保阪注・アメリカ軍)何と思うかな」
「ホラ今日も馬鹿共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」七、八人の学徒出身の特攻隊員はそんな言を吐きながら気を休めていた、と清子は証言する。清子の手帖には彼らの独り言も書かれている。そこには、「ああァ、だまされちゃった。特操(特別操縦見習士官)なんて名ばかり良くてさ。今度生れる時はアメリカへ生れるぞ」との言も残されている。
出撃する前の彼らは、自らの時代に決して納得していない。その感情が、新聞が自分たちを神にしていると書かせ、特攻隊員で死ぬのではなく戦場の片隅で死ぬ仲間に思いを馳せさせ、特攻隊員はわざわざ自殺しに来た馬鹿共だと冗談を言わせているのである。この人間味あふれた会話は彼らの本音であろう。(以下ソース)
8/4(火) 7:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/88a31ee41eb24824cee339cfda17b3c77e119661
★1︰2026/08/09(日) 19:34:01.04
https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1786291359/引用元: https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1786305353/
円安物価高なんとかしろよカス
貧乏神の高市、辞めろ!!
うげげげげー
それが高市首相の主義であり矜持だ
>>1
もう一発いっとくかァ!!!
尊敬すべき特攻隊の司令官達
・中澤佑 海軍中将
特攻隊の立案・推進者
→「俺は死ぬ係じゃないから」と普通に生き延び90歳で天寿を全うする
・富永恭次 陸軍中将
「最後は本官も特攻する」→米軍が迫ってくると無断で台湾へ敵前逃亡し天寿を全うする
・菅原道大 陸軍中将
機体故障で戻って来た隊員に「卑怯者!俺も後で行く!」を殴り倒す
→95歳で天寿を全うする
・倉澤清忠 陸軍少佐
機体故障で引き返した隊員を「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」とリンチにする
→元特攻隊員からの報復を恐れ武装して暮らし86歳で天寿を全うする
・玉井浅一 海軍大佐
「貴様は特攻で死んでもらわなければならない」と部下を輸送機から引き釣り降ろす
→僧侶になり天寿を全うする
・黒島亀人 海軍少将 人間魚雷の発案者
→特攻作戦の証拠隠滅を図り、比較的裕福に天寿を全うするする
・太田正一 海軍大尉 桜花の立案者
→自身は適正なしで搭乗せず名前と戸籍を替え82歳で天寿を全うする
創作じゃんこれ
トクリュウの大紀元?
きけ わだあきこのこえ
しかも戦争なんてなったら自分たちがお荷物だってわかってないからねw
ジジババの戦争なんて悲惨だぞ医療なんて受けれない
本当に邪魔
自分が徴兵される20代とでも思ってるんかw
ネトウヨにそんな根性あるわけないだろw怒りのアニメ鑑賞ぐらいしか出来ねーよw
その後の日本は見事にアメリカの属国となり子孫は経済的にも精神的にもアメリカのために戦う兵士となったから
安心して日本人として生まれてきなさい
普通なら記録には残らないはずの兵士の本音を垣間見ることができるのは貴重だ
キチガイの国じゃん
アメリカに住んでたがそれは人による
ホントに能力が高くてそれで一旗揚げようと強い野心がある奴はアメリカの方が遥かにいい
いくつかの国で暮らしたがカリフォルニアが一番いい
食が旨く自然が豊かで気候はカラッとしてる
最高に幸せな暮らしができる
当時は有人しか無理だったけど作戦としては間違いではなかったって事よ
負けそうには全くなってない
>二十二歳。
これはZ世代に刺さりまくるだろう
刺さらなかったら知らね
あの時代騙されるのは仕方ないが現実が見えてるのは頭のいい人だったと思う
朝鮮戦争かベトナム戦争の捨て駒だろう
「第二次大戦後、アメリカ兵の戦争における死者は合計で何人?」という場合
主要な戦争だけを単純に合計すると、朝鮮+ベトナム+湾岸+イラク+アフガニスタンで約13万人弱になります
自衛隊員の戦争における死者は0人です
>>23-32
富永恭次陸軍中将:
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。
黒島亀人海軍大佐:
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム”BAKA”こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。
いまも革新・リベラネが蔓延して、
LBGTだの多様性だの、の理想ばかり唱えているだろ?
これ戦争の前夜の傾向だそ
自国の優秀な若い奴になんということを


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