1: 樽悶 ★ 2026/08/01(土) 23:55:17.34 ID:1j/zE86R9卑弥呼が治めたとされる邪馬台国。その場所を巡っては今も多くの説があります。今回は中国の歴史書に残された記録を手掛かりに、専門家の見方を取材しました。
■魏志倭人伝に記された倭国の位置
邪馬台国や卑弥呼を巡る論争の手掛かりとされる「魏志倭人伝」。東洋史専門の渡邉義浩教授は、魏志倭人伝が「三国志」の一部であり、そこに書かれた倭国の位置は実際とは大きく異なると指摘します。
(省略)
魏と卑弥呼の邪馬台国は、実に密接なつながりを見せています。特別扱いといえるほどで、魏の皇帝・曹芳は、卑弥呼に称号を与えたと記録されています。
「詔書を下して倭の女王に報じて曰く『親魏倭王の卑弥呼に制詔す。我、甚だ汝を哀(いつく)しむ、今、汝をもって親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、』」
親魏倭王。つまり「王」という身分、そしてその称号が刻まれた金印まで贈ったと記録に残っているのです。
「親魏倭王という言葉も聞きますけども」(佐々木アナ)
「親魏、魏に親しむと書くわけなんですけど、その皇帝というものに次ぐのは王なんですね。異民族にあげる王というのは国内の王よりも一歩下がるわけではありますが、その王という称号をもらっている」(渡邉教授)
当時の中国の身分は上から皇帝、王、公、侯、伯、子、男と続きます。卑弥呼は上から2番目の好待遇だったことになります。
「例えば、日本よりも文化レベルが高かったであろう朝鮮半島の韓族たちがもらっているのは、王とか全然もらっていない、もっと低い称号をもらっているわけで」(渡邉教授)
他にも密接さが分かるエピソードがあります。卑弥呼が戦争で苦しんでいる際、魏からは人材や物資も多く贈られていたというのです。位置を偽り、大きさを偽り、さらに倭国の存続を切に願ったのは、再び「呉」のようなライバルが生まれないようにするためだったと推測できます。
■鍵は「刺史」
朝鮮半島の帯方郡から狗邪韓国を通り、現在の長崎県対馬まで8000里余り。対馬から壱岐までが1000里ほどで、帯方郡から邪馬台国までは1万2000里。魏志倭人伝には距離だけでなく日数まで記録されています。
これをもとに邪馬台国の位置を探る研究が行われてきましたが、方角や距離が実際に合わないため、九州説と畿内説で100年以上、論争が繰り広げられてきました。
これまで見てきた通り、魏志倭人伝も後を継いだ地図でも、日本の位置や方角まで正しいといえるものではありません。しかし、邪馬台国は畿内にあったという説が有力であることは、ある一つのワードを見るだけで分かると渡邉さんはいいます。
「なんで畿内説をとるのかというと、邪馬台国に至るいろんな所で九州大学のキャンパスがある伊都という場所で、伊都国というのがあります。伊都国には代々王様がいたんだと記録が出ていて、重要な拠点なんですね。そこに卑弥呼は大率(だいそつ)という役人の派遣をしているということが書いてあるんです」(渡邉教授)
「国中において、『刺史(しし)』の如くあり」
刺史とは、道や府、県の警察のような存在です。魏志倭人伝は、大率を中国における「地方警察」のような役割だとして記しています。当時の中国には州が13あり、12州は地方の役人である刺史が監察・統治していました。一方、首都圏では違う役職だったといいます。
「12個だけで真ん中の司隷という州があるんですけれども、そこだけは(刺史ではなく)司隷校尉(しれいこうい)というものが置かれるんです。つまり、東京も警視庁ですよね。他は警察(道府県警)ですよね。だから、首都圏というものは特別なものが置かれるんです。で、伊都国には何が置かれているのかというと、置かれている大率は刺史のようだと中国人が見たんです」(渡邉教授)
地方には「刺史」が、首都圏には「司隷校尉」が置かれる。現代の日本でも地方に道府県警察、首都・東京に警視庁が置かれるのと同じようにみえます。
「ということは、そこは首都圏ではないわけです。ということで、その一言だけですが、僕は。その一言だけで、その伊都国っていうものの周辺には300万人ぐらい住んでいるような、そういう広さのところには首都圏はないと、この文章からは分かります。ということになると、他の考古学的な調査を見ると、畿内以外はあり得ないなと私は考えるということです」(渡邉教授)
「なるほど、確実に今の段階では私の中では畿内説ですね」(佐々木アナ)
7/19(日) 17:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e13a6c7c1d54661bae9a67175adf4ebe8c36871c
引用元: https://asahi.5ch.io/test/read.cgi/newsplus/1785596117/
いつの間に逆転したんだ?
結局学閥の利権争いでしかない
キチガイとウヨが畿内説を連呼してるだけ
だからノーベル化学賞0キチ🐒
逆張りも大勢が決したら掌返すだろ
ぶっちゃけ学者は畿内説ばかりで九州説なんて在野の趣味で歴史をやってる人ばかりじゃん
>>3
常識的に魏志倭人伝は九州説か創作説で決着しているんだけど、
畿内説をメシのタネにしている人が必死だから。
夢を壊すのも気の毒だし。
円安物価高なんとかしろよカス
貧乏神の高市、辞めろ!!
邪馬台国はヤマト王権が確立する相当前の一地方王国
そう考えるのが自然なんだが皇国史観のキチガイたちはそれじゃ気が済まないらしい
邪馬台国と大和王朝が繋がっているというなら皇室と卑弥呼の関係をどう説明するのか?と聞くとまともに答えられない
国譲りの説話が九州から畿内に王権移ったという解釈じゃアカンのか?右の方々は
素戔嗚は半島から来たって記紀にも書いてあるのになw
大和王権が半島からの移民集団と認めたくない連中が畿内説を強引に主張している
邪馬台国は熊襲として滅ぼされた
生粋の日本人と思い込みたいからだよ
バカの直感より現実の史跡だろ
それ貴方だけの感想ですよね ?
史書としてのこっているのが魏志倭人伝しかないのだから
同定しようもないものを同定しようとして遊んでるだけのもの
学者と名乗ってこれを真剣に語ってるのは学者に値しない
お陰ですっかり人減った
「諸説あります」の範疇なんだよなw
まともな学者だと畿内説でほぼ確定なんだろw
当時の中国は記録魔で、日本以外の周辺諸国の記載は、周辺諸国にある記録と照らし合わせても大体合っている
日本だけが捏造いうのは論理的に言っても他の周辺諸国との整合性が取れない
そうじゃないと女がトップの地位になれるわけないし
皇紀2600年(笑)とかいうのが事実なら卑弥呼は神武天皇の子孫ということになるわけだが
じゃあ卑弥呼は記紀では何天皇と表記されてるのか?
邪馬台国かどうかは分からないが畿内に今の日本に繋がる国があったのは確実
世界の学説ではアーリア人は征服民族なんだけど、
インドの学説だけは、アーリア人は土着民族らしい。
それと同じ。常に畿内を日本の中心にしたい願望だけ。
女王国は九州から東海迄飛び飛びの版図だったんじゃないかな
少なくとも女王国の傍国の国々と狗奴国、倭種の国々は女王国ではないからね
奴国が女王国の傍国なので奴国に接する九州中部は女王国でしょうね
播磨と思われるハリ国も傍国、播磨の隣の吉備は女王国だったんだろうね
吉備や九州中部はヤマト政権に平定された歴史が古事記や日本書紀にある
自分らだけでは狗奴国との争いを収められず中国の国にまで助けを求めた女王国とはなんだったのか?
広大な女王国と伍していた狗奴国はかなりの強国で味方も多かったのかもな
中国にペコペコしてた俺達
あ、今もか
九州とは全く関係ありません


